チリコンカーン

チリコンカーン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=77465 / CC BY SA 3.0

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チリコンカーン

チリコンカーン(日本語別表記でチリコンカン,チリコンカルネ、、)は、代表的なテクス・メクス料理およびアメリカ料理で、アメリカ合衆国の国民食のひとつでもある。

米国では、”chile con carne”を英語風に「チリコンカーニー」 (chi-lē-ˌkän-ˈkär-nē) と発音するが、実際は単に「チリ」という略称で呼ぶことが多い。ヒスパニック系アメリカ人の多いアメリカ合衆国南西部では、非ヒスパニック系の間でも、よりスペイン語に近いチリコンカルネと呼ぶこともある。日本ではチリコンカーンの他、チリコンカンとも呼ばれている。

チリコンカーンのレシピは、19世紀半ばにメキシコから独立しアメリカ合衆国に併合されたテキサス州南部で考案されたと言われており、テキサス州はこれを「州の料理」に指定している。庶民考案の料理らしく、レシピの起源に関する信頼できる情報が乏しく、直接の起源となった出来事や、その詳細な発生日時は未だに判明していない。時代が下るにつれてレシピが洗練され、ファーストフードチェーンや一般の食堂でもこの料理が提供されるようになった。日本においては、多くの学校の給食メニューとして定番のため、知名度は高い。

挽肉とタマネギを炒め、そこにトマト、チリパウダー、水煮したインゲンマメ(金時豆、赤いんげん豆やピントビーンズなど)などを加えて煮込んだものが最もよく知られている。肉は牛肉であることが多いが、豚肉、鶏肉、シチメンチョウの肉などでも作られる。仕上げにマサやオートミールでとろみをつけることが多い。バーベキューソースで味をつけたり、シナモン、コーヒー、チョコレートなどを隠し味に用いることもある。

豆の入ったチリを「チリ・ビーンズ」、豆の入らないものを単に「チリ」または「チリ・ノー・ビーンズ」と呼び分ける場合もあるが、厳密に定義されているわけではない。チリを供する際にはおろしたチェダーチーズをふりかけたり、クラッカーを添えて、各自が食べる前に砕いて入れることも多い。

チリはアメリカの文化に深く根付いており、シンプソンズやサウスパークなどのアニメ作品でもストーリーの中で重要な役割を果たしたりする。また、刑事コロンボの主人公、コロンボ警部の好物としてドラマ内で、よく名前が登場する。アメリカ合衆国の大学給食ではクラムチャウダーと並んでポピュラーなメニューである。

名称はスペイン語で「肉入りトウガラシ」を意味するが、チリコンカーンの起源ははっきりしない。肉をトウガラシ、ハーブ、香辛料と煮込んだテハーノの料理が起源とも、カウボーイのペミカンに似た保存食が起源とも推測されている。1835年にはサンアントニオで粉唐辛子やオレガノ、クミン、ガーリックパウダー等を配合したチリパウダーが発明された。1880年代には、色鮮やかな民族衣装を身につけた「チリ・クィーン」と呼ばれるヒスパニック系の売り子たちがサンアントニオの繁華街でチリを売るようになり、サンアントニオの名物となった。1893年のシカゴ万国博覧会では、「サンアントニオ・チリ・スタンド」という売店が設置され、南西部以外のアメリカ人にもチリの味を広めた。第二次世界大戦までには、テキサス州や他州のテキサス州出身者が多く住む地域で、チリ・パーラーというチリ専門店が繁盛するようになった。

チリが全米に普及したのは、1930年代の世界恐慌や、肉類が配給制になった第二次世界大戦がきっかけである。肉が手に入りにくくなった時、挽肉にいんげん豆やトマトを入れてボリュームのある汁物仕立てにしたチリは家庭で重宝された。現在最も一般的なトマトや豆の入ったチリは中西部で生まれたもので、あまり辛くなく、香辛料の使い方も南西部のチリとは異なっている。テキサス州のチリにはいんげん豆もトマトも入っていなかったが、1920年代あたりになって中西部でチリに豆が入れられるようになり、1930年代から1940年代になってトマトが入るようになった。クラッカーやチーズを入れる食べ方も中西部で生まれた習慣である。

さらにアメリカ軍のレーションに取り入れられた事から、第二次世界大戦中後には、アメリカの同盟国・被占領国にも広まった。例えばイギリスで食事を供するパブにおいて、ランチメニューのひとつになっている。

テキサス州本来のチリには、トウガラシ以外の野菜は入らない。肉は牛肉または仔牛肉が好まれ、ペカン大に切るか粗挽きにして用いる。副菜として煮込んだいんげん豆(フリホレス)を供す…

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